黒谷新選学園・4

  「セイ……待っててくださいね……」
 総司は、講義室を抜け出し、忍び足で大学の廊下を進んでいた。
 気配を消すのは未だに十八番、そこらの学生に気取られずに大学を抜け出す自信はある。
 が。
「……総司」
 がし、と、右腕を藤堂平助に掴まれ。
「沖田さん、あんたという人は……」
 ぐい、と、左腕を斉藤一に掴まれた。
「試験勉強!」
「嫌ですよぅ」
「いくつ単位を落とせば気が済むわけ?」
「あんた、まさか、神谷と一緒に大学を卒業するつもりじゃ……」
 総司の体が、ぴくり、と反応した。
 流石に、卒業まで一緒、とは思っていない。
 が、心の片隅に一年でも多くセイとキャンパスライフを楽しみたい、というのがある。
「……半分ほど当たり、というところか」
「え、ええ!? 総司、いい加減にしたほうがいいよ?」
「わかってますよ。大体、セイは頭のいい男が好きなんですよ……土方さんみたいな」
 二人は同時に、
(この男まだ土方歳三と富永セイの仲を疑ってんのか……)
と内心呆れたが、声には出さなかった。
 そのまま二人は軽く目配せをして、総司をそのまま学園最大の、通称・大図書館に連れて行った。
 沖田総司、この二人にはかなわないのだ。
 
 別に総司の試験勉強なぞ、わざわざ図書館へ来るまでもない。
「俺たちのノートだけで合格点に達する」
 と、斉藤が言い切るだけのことはあり、二人ともノートは完璧だ。
 それなのに、わざわざこの、大図書館へ来たのは、単に高等部の校舎から一番遠いからだ。
「今日は、セイとお買い物なんですーっ!」
「藤堂さん、この論述だが今の沖田さんなら、400字程度が限度だろうか?」
「水着を買いに行くんです……」
「そうだね、最低350字だから、400字でいいんじゃない? あ、総司、ここ間違ってる。やりなおし」
 総司の嘆願なぞ、彼らの耳にも届いていない。
 せっせと論述した傍から容赦なく赤ペンがいれられていくのは、悲しいものがある。
 ぽきん、と愛用の鉛筆の芯が折れたのが、一層総司の心を切なくさせる。
「……デート、久しぶりなんですよ……」
「斎藤、ここはどうしようか? 俺、教授がこれを出すとは思えないんだけど、重要だよね」
「余裕があったら、でいいだろう。今覚えこませても混乱しそうだしな」
「覚えこませるって、私は動物じゃないですよ?」
「動物のほうがいっそ従順でいいかもしれん」
「あはは、斎藤も、結構言うね〜」
 ささやかな抗議として、膨れっ面になって見せるが、まったく効果はなかった。

 どのくらい経っただろうか、ふと、人の気配を感じて総司は顔を上げた。
「あ!」
 思わず声を出した総司の顔が、思い切り引きつった。
「なんで、勢ぞろいしてるんですかっ!」

 「お前の出来が悪い、と連絡があったのでな」
 竹刀にジャージ、という、図書館には不釣合いな、土方。
「単位を落としてもらっては困るからね、総司」
 柔らかい笑みを浮かべてはいるが、許さないよ、と、書いたオーラを背負っている山南。
「論述は私に任せたまえ! これでも、私は国文学専門だからねっ!」
 なぜか羽織袴を着ている、伊東。
 最強、いや、最恐の講師陣に囲まれて、総司の試験勉強第二ラウンドが始まった。

 「馬鹿か、総司! さっきから何遍山南さんに説明させるんだ! とっとと理解しやがれ」
「ひ、土方くん! 殴ってはいけないよ!」
「とめるな、山南さん!」
「殴ってせっかく覚えこませたものを忘れたらどうするんだ!」
「……一理ある。すまん、山南さん、続けてくれ」
 総司の周りで繰り広げられる会話は、なかなかひどいものである。
 が、彼にはそれに抗議する暇すら与えられていない。
「沖田くん、重要単語を接続詞でつないだだけでは、点数はもらえないよ?」
「わかってますよぅ……」
「総司、問題をよく読んでから論述しなきゃ、中身があってても×だよ!」
「おら、総司、同じ事に何度も引っかかるな!」
 時には、土方の竹刀が、びゅぅ、と空を切る。
 すっかり元気をなくした総司。だが、そこへ天女が降臨した。
「総司さん、頑張ってますか?」

 「セイ!」
「神谷!?」
「神谷君!」
 いっせいに彼らがセイを仰いだ。
「セイ! どうしてここへ?」
「五郎がね、総司さんがここで大変な目にあってるって連絡くれたの」
 その五郎は、総司の鉛筆調達のため、大学の購買へ行っている。
「あ、先生方、手が真っ黒! 総司さん、ほっぺも……」
「総司が、2Bの鉛筆使うから!」
 平助が、真っ黒の自分の手を見て、嘆いた。
「はい、これで拭いてください」
 セイはお化粧ポーチから、ウェットティッシュを取り出し、皆に配った。
   ひんやりとしていて、心地よい。
 そこへ、五郎が駆け込んできた。
「鉛筆買って来ました! それから、消しゴムと赤鉛筆も!」
「あれ、俺、そんなに頼んだっけ?」
「藤堂先生が俺に頼んだのは鉛筆1本です。でも、神谷が、消しゴムと赤もいるからって……」
 事実、消しゴムも磨り減っているし、赤鉛筆も、短くなっている。
 セイがかばんを置いて、総司の横へ腰掛けた。
 それだけで、総司のエネルギーは充填されたらしい。
「悪くねぇな……」
「土方君?」
「神谷がいると、細かいとこまで手が回る。神谷、お前も総司単位取得プロジェクトの一員だ!」
 いつの間にそんなプロジェクトになっていたのか。
 総司は愕然として喚いたが、講師陣、力が入ったらしい。
 えいえい、おー、と昔のノリで、図書館で気合を入れた。

   一員となったセイは誰より凄まじかった。
「総司さん! 貴方は今日から私の部屋へ泊り込みです!」
「えっ!」
「お屋敷の皆さんと一緒だと、遊ぶ事が目に見えています。だから隔離です!」
 がーん、という文字が総司の顔に大きく描かれた。
「身の回りのお世話は、私がします。先生方、内線電話で呼びますから順番に来てくださいね」
 こくこく、と頷いた講師陣、なぜか顔が引きつっている。
「……セイ、一緒に遊べないんですか?」
「当たり前です」
「ひどいですよぅ〜!」
「ひどいのは総司さんの成績です! さぁ、次はこれですね?」
 
 この試験期間終了後。
 やつれた総司がとうとう倒れ、セイが必死で看病する事になるのは、まだ誰も知らない。
 
5へ続く