黒谷新選学園・6

 この学園で騒動を巻き起こすのは大抵近藤屋敷の住人たちである。
 小学校から大学まで、毎日誰かがどこかで何かを起こす。
 そして今日騒動が起こったのは高等部。
 しかし、騒動の中心はセイと五郎ではない。体育教師・土方歳三である。

  「土方君! 今日こそ君の部屋でゆっくり二人きりで語り合って過ごしたいものだよ」
 教員室の中を、憤怒の形相で闊歩するのはジャージ姿の土方歳三。
 その後ろをハートを撒き散らしながら追い掛け回すのが、国語の伊東甲子太郎教諭だ。
「伊東先生も懲りないよなぁ」
「土方先生の尻を追い回して手厳しく追い払われて……いい加減に諦めればいいのに」
「土方先生も一度くらいお宅に呼んであげればいいのに」
「デートしたっていいだろうにねぇ」
 他の先生たちが好奇心に満ち満ちた視線で二人を眺める。
 それがまた、土方の機嫌を損ねる。
(どうして俺がこんな奴を屋敷に呼なきゃいけねーんだ!)
「伊東さん、その手を離してもらおうか。俺はこのあと、授業があるんだ! 何ならこれから生徒と一緒に校庭をランニングしますか? あなたのTシャツ姿なら皆我を忘れて付いて行くことでしょうからな!」
「い、いや、僕は君と過ごしたいのだよ、土方君!」
 伊東の手は、土方の愛用する竹刀をしっかりと握り締めて離さない。
 デートの約束をしてくれるまで離さないよ、と、今朝学校に着くなり拡声器で宣言されたのだ。
「ああ、土方君、君のその怒った顔もまた美しい……ぞくぞくするくらいに……」
 伊東にうっとりとされ、土方の美貌が憤怒で歪む。
「生憎、今晩は来客の予定が」
「それはどなたかな? よければ僕も」
 土方は言葉に詰まった。来客など予定にない。
「そ、それは……」
 適当な人材を探してあたりを見回した土方の目に、見慣れた二人組みが飛び込んできた。
 ちょっとした用事があって職員室にやってきた、五郎とセイである。
 二人とも、土方を見るなり、苦笑している。
(いいところに! こいつらだっ!)
 土方は、腕を伸ばして、二人を捕まえた。ぐいっと、引き寄せれば、簡単にこちらへやってくる。
「いろいろ、手ほどきをする事になっていましてな!」
 極上の笑顔を浮かべて土方が宣言した瞬間、職員室中が大騒ぎになった。
 もちろん、伊東もびっくりして言葉を失っている。
(よし! 伊東を黙らせたぞ!)
「土方先生、生徒に手を出すのはまずいでしょう」
「生徒に手を出すのも問題ですが、それ以前に彼女はあの沖田総司の恋人では?」
「と、とにかく、聞かなかったことにっ!」
 大慌ての先生たちだが、なぜか土方はまるで気がついていない。勝利の美酒に酔いしれている、という表現がぴったりだろう。
「副長! 副長ー!!」
 五郎とセイが喚く声がするが、やはり土方の耳には届いていない。
「ひ、土方くん……き、今日はお邪魔するのは止しておくよ」
 伊東がそういい、土方は自分の勝利を確信した。
 が、何かがおかしい。
 ふと気がつけば同僚たちが赤い顔や青い顔で右往左往している。もっと不思議な事に腕の中に居るはずの人間の数が足りない。目の前に、顔面蒼白の五郎が居るのだ。
「ああ? 五郎、お前、いつ俺の腕の中から抜けたんだ?」
「ふ、副長、何言ってるんスか……。俺、もう知りませんよ」
 しかも、背後に殺気を感じる。
「歳三さーん……。何やってるんですかー……」
 聞き覚えのある声がして、土方は背後を振り返った。
「総司、お前何やってんだ? ここは高等部だぞ?」
「ええ、ちょっと調べる事があって、来校したんですよ。で、此処へきたらこの騒ぎ。それは何の真似です?」
 目の据わった総司が、土方の腕の中を指差す。
 その指の動きにつられてよくよく腕の中の人物を見れば、それは、魂の抜けたセイで。
「あ? セイ?」
「とぼけないで下さい! セイに今夜、何を手ほどきするんですか?」
「は?」
「だから、今夜、貴方の部屋にセイを呼んで何をするつもりですか! 事と次第によっては……」
 真っ赤な炎を背負ったような総司にぐぐっと詰め寄られて、土方は柄にもなくパニックに陥った。総司をどうにかしろ、と、五郎に視線を送るが、五郎は無理無理、と、首を横に振るばかり。
「こ、これはだな、その……」
(俺としたことが確認もせずセイだけを抱き寄せるとは!)
 総司の全身から殺気が噴出し、教員室が静まり返る中。
「女子生徒を抱きしめているとはどういうことか、説明してもらおうか。土方歳三先生?」
 隣の、校長室から一人の紳士が姿を現した。
 桂小五郎校長、土方が敵視する人間の一人である。最も顔を見たくない人間の一人であると言ってもいい。
 その人間が、笑顔を浮かべて近寄ってくるのだ。
 その顔には、逃がさないよ、と、書いてある。
「さ、土方君、今日こそゆっくり話をしようじゃないか」
 がっちり腕を掴まれた土方は、ずるずると校長室に引っ張っていかれる。もちろん、その腕の中にはセイが居るし、セイを追いかけて総司も行く。
「中村さん、行きますよ」
「えっ! 沖田先生、俺関係ない……」
「何を言ってるんですか!」
「ちょ……先生、誰でも良いから助けてくださーい!」
 悲痛な叫びを残し、総司に引っ張られた五郎が校長室に消え。
 職員室はようやく静かになった。
「近藤屋敷のメンバーは、相変わらず騒動を起こすのが得意のようだね。僕も仲間に入れてもらおう。きっと楽しいに違いない!」
 伊東がくすっと笑い、軽やかなステップを踏みながら校長室へ消えていく。
 直後、土方の怒鳴り声が炸裂する。何かを破壊する音までが聞こえてくる。
「誰か、内海先生か近藤先生を呼んでください。近藤先生はお屋敷に居るはずです。もう、私たちの手には負えませんから! それから、中村さんを保健室にお願いします」
 校長室から、転がるように飛び出してきててきぱきと指示する総司。彼の額には大きな瘤が出来ており、腕に抱えているのは白目を剥いている、五郎だ。
「は、はいっ!」
 若い女の先生が受話器を取り上げ、中年の男の先生が二人、五郎を受け取った。総司はすぐに、校長室へ戻っていく。彼にはセイを守るという使命がある。
 
 結局、内海と近藤の二人がやってくるまで、高等部職員室は大荒れに荒れ続けた。
「やっぱり、新選組の連中は面白いな」
 騒ぎの最中、桂校長がそう呟いてこっそり逃げ出した。もちろん、誰にも気付かれることなく……。