儀式 ある日、偶然渡り廊下を歩いていて『それ』を見た土方は酷く驚いた。
今から巡察へ行こうとするのは、精鋭揃いの一番隊。
「さぁ、今日も元気良く行きますよ」
「おうっ」
組長が言う。隊士が返事をする。
ここまでは他所の隊と何ら変わらない。
土方も、何ということもなく、みていた。
彼の目の前で一番隊の連中が、さっさと行動を開始する。
だが、総司だけが、動かない。
(総司の奴、何やってんだ?)
と、総司がひょいと腕を伸ばして、平隊士の群れから人を抱き上げた。
(お、神谷)
総司に抱きあげられた神谷清三郎は、全く抵抗しない。前髪が風にたなびき、形の良い額が露になった。
二言、三言、会話を交わした後、総司が清三郎に口付けた。
土方は心底驚いた。驚きのあまり、目をカッと見開き、呼吸が止まったくらいである。
(ななななな、何んてことを!)
ひとり真っ赤になって慌てる土方とは対照的に、一番隊隊士たちは見てみぬ振りを決め込んでいる。 そして、真っ昼間から人目も憚らず接吻を繰り広げる組長をよそに、ぞろぞろと巡察へ出てしまった。
土方はとっさに、思った。
(総司、事によっちゃ俺はおまえを遠ざけるぞ……)
もし総司が女とそんな振る舞いを公衆の面前で行ったならば、みっともねぇ、とか、さっさと巡察に行け、などと遠慮なく怒鳴り散らしているところなのだが、総司の相手が神谷清三郎、つまり男、なために、土方はすっかり調子が狂ってしまった。
土方ほどの男でも、狼狽したら思考が空回りするのである。
(総司の奴、いつの間に神谷と……なんで俺にそんな大事な事、報告しねぇんだ? いつも報告はきちんとしろっていってるだろうが……。こうなったら、総司が分家して……って、あれ、神谷も男だ! それより、組長が集団を乱してどうする! 巡察は! 隊規は! というか、男同士……いや、他人の惚れた好いたには口だししちゃならねぇ!)
一人赤くなったり蒼くなったり、右往左往している。
そんな土方に、総司が気がついた。
(おや土方さん……ちょっとからかってみましょう)
総司は、清三郎を抱きかかえたまま、じりじりと土方の近くまで移動した。
(ここなら、声も届くでしょう)
ちら、と土方をみると、顔がすっかり強張ってしまっている。総司は土方によく見えるよう計算しながら、接吻を華々しく繰り広げた。
清三郎の首筋に噛みついたり、舐めたり、耳に息を吹きかけたり、舌を差しこんだり。
土方も視線を逸らせばよい物の、どうしたわけか、金縛りにあったように視線が逸らせない。嫌な汗が、じっとりと背中を伝う。
また清三郎が必死に耐える顔がなんとも色っぽく、それが土方を悩ませる。
怒鳴りつけてやろうと、口を開いたが、どうしたわけか喉が引き攣って、声が出ない。(お、俺は童にゃ興味ねぇ! ……ちくしょう、総司の奴!)
一方、土方に見られているとは露知らず、喘ぎながら清三郎が口を開いた。
「沖田先生……もうっ……巡察いかないとっ……」
「おや、相変わらずお仕事が好きですねぇ」
「だって……っ……土方副長に見られでもしたらっ……ぁんっ!」
清三郎の口から思いがけず自分の名が出て、土方は跳び上がった。
その瞬間、総司と土方の目があった。カッ、と頭に血が上り、金縛りが一気に解けた。
「総司ーっ! いい加減に……」
思わず、叫んでしまった。
「え、ええ? 副長? きゃあ!」
一気に首まで朱に染めた清三郎は、総司の腕から飛び降り、一目散に屯所を出て行く。
その後ろ姿を見送ってから、土方の元へ、にやにや笑いながら総司がやってきた。
「神谷さん、可愛いでしょう?」
「お、お前には……」
「その気はありませんよ、安心してください。で、いい加減に何ですか?」
「……巡察へ行け!」
土方は苦虫を噛み潰したような顔をしている。総司が、ぷぷ、と笑った。
「違うでしょ、接吻をやめやがれ、でしょう!」
口をぱくぱくさせる土方を残して、総司は風のように屯所を後にした。
翌日、一番隊の隊士を廊下の片隅で捕まえた土方は、言いにくそうに尋ねた。
「総司と神谷はあの、その……なんだ、いつも、あんな……」
「あ、副長も見たんですか? そうですよ、屯所を出る前の儀式、と俺達は呼んでます」
「ぎ、儀式!?」
そんな儀式なんぞあってたまるか、土方は本気で思った。
「で、いつからその儀式をはじめたんだ?」
隊士はちょっと指を折って数えた。
「かれこれ、二月ほど前からですか。激しい斬り合いになって、動揺した神谷を落ちつかせる為に沖田先生が口付けしたのがきっかけだったと思います」
「そ、そうか……」
「それ以来、巡察前に口付けすると、びっくりするほど神谷が落ちつくんで、習慣になりました」
土方は、盛大に溜め息を吐いた。
(動揺した女は口付け一つで大人しくなると奴に教えたのは俺じゃねぇか! それを総司の野郎、よりによって、男の神谷に使うとは……)
「変な組長を持つと、苦労するな」
土方の言葉に、隊士は笑みを返した。
「もうなれました。でも、神谷には幸せになって欲しいです」
隊士はそれだけいうと、ぺこりと頭を下げて土方の前を去っていった。
それ以降、土方は、悶々と悩んだ。
(総司は『その気』はないって言いきったが、あれはどう見たって……恋仲だ)
しかし、そうでないのにあんな行動をとるようでは、それまた問題だ。
(ああ、総司、俺はお前が理解できねぇよ……)
後々になって、土方は神谷清三郎が実は女子だと知るのだが、知ったら知ったで、また、あれこれと頭を悩ますのである……。
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