人斬り

  もうすぐ年の暮れだと言うのに今年はやけに暖かい、そんなことを隊士たちがのんびりと言い交わしている、昼下がり。
 陽気とは裏腹に、この部屋は暗く冷えていた。
 土方は監察方から届いた報告を前に、厳しい顔をして黙り込んでいる。
 向かい合って座っている山崎も、ぐっと口を横一文字に結んでいる。更にさっきから、綺麗に剃り上げた月代の汗を拭うばかりするのは、極端に緊張しているからだろう。
「山崎君、どうしたら良いと思う?」
 山崎はびくり、と体を震わせた。土方がこう問い掛ける時、大抵は『粛清』を必要とするときなのだ。
「しかし粛清するわけにはいきません」
 土方が、近頃この部屋に居付いた猫を膝に抱えて撫でながらくく、と低く笑った。
「下手すりゃこっちがやられるし、みすみす戦力を削ぐ気はねぇ……」
 山崎は内心ほっとた。密かに片付けろ、なんて命令を下されたらどうしようかと思っていたのだ。
 しかし、あからさまにそれを面に出さないところが、この男が監察として土方に重宝される所でも有る。
「安心しろ、総司を斬れるのは近藤さんだけだ」
「ははは……」
 ひた隠しに隠したはずの胸のうちを読まれて、山崎は苦笑いを浮かべた。

 山崎を下がらせて、一人自室に篭もった土方は報告を反芻していた。文机の上には長い長い報告書が開いてある。
 呼ぶまで誰も近寄るなと念を押してある為、煩わしい雑用が持ちこまれて思考が中断されることもない。
 目を閉じて腕を組むと、山崎の声がまざまざと甦ってくる。
「沖田先生、やはり斬りすぎだと思われます」
 引き攣ったような苦しそうな、山崎の顔。あの沈着冷静な男があんな表情をするのを土方ははじめてみた。
(総司が鬼の様に強ぇのは元々だが……何かに憑かれたか?)
 ここ三日で総司が一刀両断にした人間の数は山崎が調べ上げた結果、名前がわかっているだけで十人を下らない。
 勿論、巡察の時に斬ったものは別にして、である。
(あいつの名が世に知れている分だけ、余分に襲われるんだろうが、斬りすぎてやしねぇか?)
 報告書によると、少しでも邪魔だてすればたとえ相手が町人でも容赦なく斬り捨てているという。売られた喧嘩も洩れなく買って、全員を必ず切り伏せるという。
(以前はそんな奴じゃなかったんだがな……)
 しかし、いつの頃から総司がそんな風になったかまでは、いまいちはっきりとしない。
 そして最も土方が注目したのは、報告書の最後の部分だ。
 ここ半月程、屯所近くで頻発している謎の惨殺事件の下手人も、もしかしたら、と締めくくって報告書は終わっている。
 土方は、つい、と立ちあがって一人室内をうろうろと歩き回った。
 これが、思案する時のこの男の癖だ。固くなった筋肉がほぐれると同時に、血の巡りが良くなり、思考が冴える、といのが土方の持論だ。
 
 それはさておき。
 今は総司のことだ。
 
 浪士と喧嘩になるのはお互い様だが、惨殺事件となったらそれは犯罪である。総司が犯人だとしたら、これはもう、大変なことである。
(被害者はれっきとした侍もいりゃ、浪人も、町人も、女もいた……。物は盗られてねぇし、乱暴もされてねぇ。切り口は凄まじい突きの時も有れば袈裟懸けもあったと聞く……)
 被害者の傷口を見ることが出来れば、何か手がかりになるのだが、生憎、新選組には見せてもらえない。
 土方は頭をひとつ振って、縁側へ出た。散歩に行っていたらしい猫が、一つ鳴いて土方に擦り寄ってくる。ひょい、と抱き上げると、ぺろ、と頬を舐めてくれる。
(鬼の住家に居つく猫なんぞ、そうそういねぇぞ……)
 沈み掛けた夕陽が、ぎらぎらと土方を照らし、身を切るように冷たい風が吹きぬけた。

 その後次々舞いこむ情報で、総司が惨殺事件との関与はともかく、無用とも思える殺生を働いていることだけは確実になった。
 総司の跡を尾行した山崎が、橋の上で壬生狼や、と叫んだ町人を問答無用でばっさりやるところを見た。それだけでなく、総司を非難した見物人まで袈裟懸けに斬ったというのだ。
 それは悪鬼の如く冴えた剣技であり、当人がまるで無表情なのが怖かったと、山崎が漏らした。
(どうすりゃいいんだ……)
 土方の頭脳を持ってしても、総司の行動を止める手立てが一向に思いつかない。溜め息をついて、既に冷めているお茶を一気に飲んだ。
 今日も外は暖かく、いつもの猫が縁側に寝そべっている。
 
 翌朝も、昨日と同じくらい天気が良い。珍しく障子をすっかり開け放ってある土方の部屋には、陽だまりができ、近所の猫が勝手に上がりこみ、そこへ寝そべっている。
 その傍らで溜まった雑用を片付けていた土方の元に、山崎が青い顔で駆けこんできた。
「また、惨殺されました」
「傷口は」
「凄まじい突きです」
「被害者は」
「どうやら見廻り組と町人のようです」
 土方の手がぴく、と止まった。ここではじめて山崎を振りかえった。土方の顔が険しい。
「見廻り組だと?」
「恐らく……町人を斬った惨殺犯を取り押さえ様として返り討ちにあったのだと……」
 山崎はついでのように、隊内に、惨殺犯沖田総司説がまことしやかに広まっている、と告げて出ていった。
 ちょうどその時間、総司が刀に拭いをかけているのを見た者がいるらしい。
「総司! 総司はいねぇか!」

 「嫌だなぁ、私が無用な殺生をするはずないでしょう」
 相変わらずにこにこ笑いながら総司は言う。火鉢の炭を面白そうに突つきまわす姿はどうみても剣豪には見えない。少なくとも、無用な殺生をする人斬りには見えない。
 土方はちょっと安心した物の、近頃の総司が纏う異常に冷徹な気配が気になって仕方がない。
(人斬り稼業の奴らが纏う気配に良く似てやがる……)
 もっとも、彼らのようにどす黒い醜悪な気配ではないが。
「だがな、総司、お前も噂を知ってるだろうが」
「ああ、あの噂ですか。惨殺だなんて、酷いですよね。まるで人を人斬り鬼か何かの様に言って……粛清なのに」
 土方は口元まで運んだお茶を思わず取り落とした。
「お前……」
 ざぁ、っと土方の耳の奥で血が引く音がした。
 総司はそんな土方の顔色には無頓着で、土方が零したお茶をせっせと拭っている。
「粛清……だと?」
 声が擦れなかったか、震えなかったか……土方は引き攣る喉を無理に動かして声をだした。
「そうですよ。新選組の邪魔をするものは容赦しません。土方さんだってそうでしょう」
 総司は相変わらずにこにこしている。だが、その目は笑っておらず、冷たく光っている。
「総司……」
 新選組のためなら、鬼になる。それは土方とて同じだ。
 総司は新選組のために剣を振るったという。それは、無用な殺生ではない、というのだ。
(悪意や私心は些かもねえってことか……それはそれで厄介だ……)
 総司は絶句したままの土方には目も呉れず、相変わらず火鉢を覗きこんでいる。
 無邪気で屈託のない、弟分。彼は、昔から変わらない。だが、どこか何か、別人のように変わってしまった。
 土方は、暫く総司と無駄話をし、冷静に観察したあと、こいつは憑かれたのではない、と静かに判断を下した。
 そして自分で新しく注いだお茶をそろり、そろり、と飲んだ。
(そうか、人として大事な何かが欠けている……)
 捨てたのか、失ったのか、封じたのか、それとも、もともとなかったのか。
 ふっと、土方は何とも言えない、得体の知れない恐怖に身を抱きすくめられた。
(俺達は、総司をとんでもねぇ化け物にしちまったのかも……)
 己の思考に愕然としながらも、土方は脳味噌をせっせと回転させた。

 今更、後悔してももう、遅い。自分に出来ることは、これ以上、無用な殺生をさせない事だ、と土方はさっさと決断を下した。決断が間違っていたらそのときに修正すれば良い。
「総司、いちいち粛清してたらきりがねぇ。そんな奴らには構うな。放っておけ」
 総司が不思議そうな顔をして、土方を見た。こんな表情は昔と変わらない。
「どうしてです?」
「どうしてって……いちいち構っていたらそこいらの人間全部を斬る事になる」
 総司は、いいじゃないですか、少しくらい斬ったって変わりゃしません、と笑う。そして何が面白いのか、相変わらず火鉢に齧りついている。
「斬れば斬るほど、憎まれる。それはお前を狙う奴がふえて、お前が命を落とすかもしれねぇ機会が増えるだけだ、わかるか、総司」
「私は一向に構いませんよ。私が勝ちますから」
「違う、お前が勝つの負けるのと言ってるんじゃねぇ……」
 斬るな、と命令すれば総司は斬るのをやめるだろう。しかしそれでは、意味がない。
 土方は根気良く、言葉を尽くして総司に話した。
 純真無垢で心の一部が欠落した総司と向き合いながら土方は腹の中で涙を流した。

 それから、一刻余り後、土方さんらしくない、とぶつぶつ言いながら、総司は元気に土方の部屋から出てきた。
 その後から姿を現した土方は、げっそりとやつれてしまっている。
 兎に角『粛清』を控えるよう、約束を取りつけたものの、同時に土方は総司の抱える狂気に似た闇を見てしまった。総司の欠損した心の部分に潜んだ、闇。無論、誰でも心に闇の一つや二つは持っている。
 土方はそんな闇を抱え、持て余した人間に今までに幾人も触れてきている。だが、総司の抱えるものは、うっかりするとこちらが引き摺りこまれてしまうほどに深く、今まで目にしたことがないほど、規模が大きい。
(あれほどのものを抱えていながら、いつも明るいのは何故か……)
 幼い頃からの付き合いだが、沖田総司という人間がわからなくなりそうな思いに捕らわれた。

 前を歩く、総司の隙のない背中を見て、土方は大きな溜め息をついた。
 今更、自分の命を大切にしろ、だとか、命は重いものだ、とかくどくどと言う気はないが、可愛い弟分をみすみす単なる人斬りにしてしまう気は毛頭ない。
(暫くは、目がはなせねぇ……)
 
 その後屯所界隈での『謎の連続惨殺事件』は、ぷっつりと途絶えた。
しかしなかなか下手人は挙がらず、町の人々は、犯人を新選組だと噂し合ったが、間もなく過激な浪人の仕業であるとして、人相書が貼り出された。
 中肉中背の若い男で、喧嘩剣法しかしらない荒々しい男、と書かれていた。

 「これで、誰も総司だとは思うまい」
 夕方、局長室にいた土方の元に、山崎が報告に来た。
 山崎に杯を渡しながら土方が、やれやれ、と言う顔をした。
「もう大丈夫でしょう」
 山崎もあちこち駆けまわり、くたびれた顔をしているが安堵の色が浮かんでいる。
「山崎君、随分と迷惑をかけた」
 一部始終を土方から聞いていた近藤が、山崎に軽く頭を下げた。
 土方について局長室へ来たいつもの猫が、労をねぎらうかのように三人の間で尻尾を揺らしている。
 「トシ、あとは、勝手な粛清を総司がやらないように、見張るだけだな」
「そうだな」
(しかしこれが一番厄介なんだ……)
 さぞ重いであろう土方の胸のうちを察して、山崎が土方の杯を満たした。
 猫が大きく欠伸をして、土方の袴の裾にちょっと爪をかけた。ぴり、と小さな音がし、土方は慌てて袴の裾に手をやった。
「こ、こやつ……仕立てたばかりなんだぞ、これは……」
 土方が眉間に皺を寄せたが、猫は一向にお構い無し。土方の膝の上を通過し、近藤の膝の上で丸まった。
「局長と副長、どっちにも懐くなんて、まるで沖田先生みたいな猫ですね」
 山崎が面白そうに言って、猫がにゃあん、と鳴き、隊士部屋で総司がくしゅん、とくしゃみをした。