河辺の家―庭の小舟―

  総司とセイの家は河辺にある一軒家。
広い家ではないけれど、庭も裏庭もついている。
 先日、総司たっての希望で庭に川の水が引き込まれ、小舟が浮かべられた。
 今日は小舟を所有して初めての非番、総司は朝からずっと舟の中でご機嫌だ。
「セイ、はやくいらっしゃい」
「はいはい、総司さま」
 家事を済ませ、お茶とお饅頭をお盆に載せたセイがようやく舟に乗り込んだは昼過ぎ。
「そ、総司さま、ゆ、揺れますーっ」
 セイが揺れにびっくりして叫んだ。
「大丈夫ですよ、そーっとそっちへ動いて……」
  セイはお盆を片手で持ち、空いた片手で総司の袖をぎゅっと握ったまま不安そうに座り、きょろきょろとみまわす。
「舟ってひっくり返らないんですか?」
「片方に酷く寄ればひっくり返りますけど、二人で向かい合ってる分には大丈夫ですよ」
 セイはようやく安心したらしく、総司の袖を離した。
 暫くは落ち着かなさそうだったが、すぐに馴れたらしく、てきぱきとお茶の準備をする。
「これ、昨日原田先生が持ってきて下さったお茶で、お饅頭は永倉先生、お団子は藤堂先生からです」
「あの人たちはまた来たんですか……」
「はい。頻繁にいらっしゃいますよ」

 総司は複雑なため息をつく。
 セイが自分のいない時は男装しているのを知っているが、妻の回りに他の男が寄るのはやはり面白くない。
 が、正直有り難くも思っている。
 何かと物騒な世の中、彼らが気にかけ、出入りしてくれるから総司は安心して家をあけられるのだ。
 そんな総司の心中を知ってか知らずか、セイはにこにこと話を続ける。
「総司さまが長期出張の時は代わる代わる泊まりに来て下さるそうです」
 え、と総司が固まった。
「寂しかったら、いつでも来い、泊まりも歓迎、と局長や兄上、伊東先生が文を下さいました」
 ますます総司の顔がひきつる。
 しかしそんな旦那様には気がつかず、無防備な妻はにこにこと純粋に喜んでいる。
(……危険!)
「出張の時は、清三郎を連れて行きます!」
 思わず総司が叫んだ。
「はい、沖田先生。清三郎は喜んでお供いたします」
 セイが笑い、総司もつられて笑った。川を行き交う船頭たちが、うらやましそうに、微笑ましそうにそんな二人をみている。

 穏やかな秋晴れの午後、側には大好きな総司がいて、他愛ない話をしてお茶をする。
(はあ〜、幸せ)
 セイはしみじみ思った。

 「ゆらゆらして、気持ちいいですねぇ」
 うーん、と伸びをした総司の額に、綺麗な椛がひらひらと落ちてきた。
「おや、きれいな椛ですね。どこから……」
「あ、総司さま、あそこにあります!」
 セイが指さす先にはまだ若い椛。
 あんなところにあったかしら、と小首を傾げるセイに総司はゆっくり言葉を紡いだ。
「川の水を庭に引き込むのに、あの辺りの木をだいぶ移植したでしょう。それで……やっと見えるようになったのかもしれませんよ」
「ああ、そうですね。気がつかなくてかわいそうでしたね」
「気がついて欲しくて、この葉をとばしたのかも」
 総司が椛をひらひらと振り、セイの頭に簪をさすかのように差した。
「あなたは赤い色もよく似合いますね」
「そうですか?」
「ええ。浅葱色も似合ってましたけど。ふふ、可愛いですよ、セイ。食べちゃいたいですよう」
「や、やだ、総司さまったら……」
 椛に負けず劣らず首まで赤くなって、顔を袂で隠した愛妻を総司は心底愛しいと思った。

 どのくらい舟に居ただろうか、気が付くと川面が夕日に染まっている。
 そっとセイが盗みみた総司の顔も、総司が盗み見たセイの顔も、夕日に染まっている。
「いつまでも、ここに居たいですね」
 セイがぽつりとつぶやき、総司もこくりと頷いた。
 最初は向かい合って座っていた二人だが、いつの間にかセイは総司の腕の中に身を預けている。
 甘く平和な時が過ごせることに、二人とも感謝していた。

 しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。
「そろそろ家に入りましょう。風も冷たくなってきましたしね」
「そうですね……」
 総司は愛妻の肩を抱いたまま立ち上がった。
 舟が微かに揺れる。
「きゃあ!」
 ぴっ、としがみつくセイに苦笑しつつ、総司は先に陸に上がった。
「セイ、ほら上がってらっしゃい」
手を差し出すが、お盆を胸に抱えたセイはおろおろするばかり。
 そこへまた運悪く風が吹き、舟がぐらりと揺れた。船縁にしがみついたセイの顔から血の気がさーっ、と引いた。
「そ、総司さまぁ……!」
「仕方ありませんね」
 急にセイの体がふわ、と浮いた。声を上げる間もなく足が地面についた。
「あ、あれ?」
自分が抱き上げられて舟から降ろされたことが解らなかったらしく、セイはきょと、と総司を見た。
「ぷっ、何て顔してるんです。今度から今みたいにして乗り降りすればいいんですね。怖くなかったでしょう?」
 はいっ、とセイが艶やかに笑い、総司は妙にどぎまぎしてしまった。

 ふと、舟を見やったセイの目に、何か赤いものが止まった。
「あれ、何でしょう?」
「どれです?」
「舟の先……」
 総司が、川からひょいとつまみ上げたもの……それは綺麗に折られた鶴だった。
「誰かが流したんでしょうかね?セイ、どうします?」
 手のひらに乗せて暫く眺めていたセイだが、大事そうにそれを手で包んだ。
「捨てるのもあれですし、綺麗な鶴ですから飾りましょう」
 家に入るなり、茶色い小皿を持ってきて、鶴を乗せた。
 それに庭の花を摘んで添え、玄関に飾った。
「へぇ、なかなか立派な飾りですよ」
「うふふ」
 このところ暫く殺風景だった玄関が華やいだのが野暮天総司にもわかる。
 玄関から入ると、丁度、鶴が出迎えてくれる格好になる。
 不思議と、セイと鶴とが重なった。
(貴女が私の帰る場所なんですねぇ)
 総司は暫く鶴を眺めた後、ちょっと照れた風で夕餉の支度をするセイの傍へ向かった。
(セイの帰る場所は私だといいんですけど……)