河辺の家―泥棒は見た―

 河辺にある、総司とセイの家。
 庭も裏庭もあって、川の水を引き込んだ庭の片隅には総司ご自慢の小舟がある。
 今日は珍しく誰も訪ねてきておらず、小舟にも誰もいない。

 セイは夕餉の支度をしていた。
もうすぐ帰ってくる総司を思って、いそいそとお気に入りの薄紅色の着物に着替え、包丁をふるう。
 総司の好物ばかり作るので、自然と甘い物が食卓に並ぶ。こんなに甘い物ばかりはよくない、と思うけれど、総司が美味しい美味しい、と笑顔で食べるので、それ見たさについつい総司の好物ばかり作ってしまう。
 ふいに、セイの手がとまった。セイの勘が異常を報せる。
(囲まれた!?)
 セイの表情が妻のそれから新選組隊士のそれへと変わる。
(男装を解くんじゃなかった!)
 セイは素早く火の始末をして、襲撃に備えた。
 
 その頃。襲撃者とは別に、一人の男が家の様子を伺っていた。
 若夫婦の住むこの家には金がある、と専ら盗っ人仲間の間で話題になっているのだ。
 その男、名を善助、という。職業、盗っ人。

 「ひえっ!」
 善助は、情けない声を上げて、庭に突っ伏した。目の前の花が、芳香を放っているのに気が付いたが、それどころではない。
 自分が盗みに入ろうとした家に、複数の刺客が踊りこんだのだ。驚きもする。
 ぎぃん、ぎぃん、と鋼と鋼がぶつかり合う音がする。
「ええーっ!」
「お前一人かっ!」
 野太い声がして、善助はいよいよ小さくなった。
「何者っ!」
 鋭い声がして、善助ははっとなった。
戦っているのはてっきり旦那だと思ったのだがよくよく見ると、襷がけをした小柄な女性が一人きりではないか。
(いけねぇ、誰か助っ人……)
 とは思ったがこの女性、なかなか腕が立つ。
 小太刀を華麗に振るって、屈強な男たちを翻弄している。白い頬についている血は、彼女の足元に転がってうめいている男のものだろう。
「流石、というべきか、沖田総司の妻」
 頭領らしい刺客の言葉に、今度こそ善助は完全に固まってしまった。
(げぇ! 沖田総司の妻!! 入らなくてよかった……)
 
 暫くして恐る恐る家の中を見ると、女性が何か口にくわえている。
(あれはたしか……呼び子)
 善助は懐をまさぐった。自分も同じ物を持っている。
 それを躊躇うことなく、力いっぱい吹いた。
―ピィィィィー
 刺客たちが、ぎょっとして立ちすくんだ。互いに何か呼び交わしているが、善助の耳まで届かない。
 セイも、一瞬驚いた物の、一番近くに居た刺客の隙をついて懐に飛びこみ、首筋を強かに打った。
 どうっ、と刺客がまた一人、セイに倒された。
 
 屯所に戻る途中にこの家の近くを通った一番隊が、呼び子に気がついて駆けつけたとき、セイは刺客二人を相手に奮戦していた。
「セイっ!」
 総司がいまにもセイを斬ろうとする猛り狂った曲者に駆けよって斬って捨てた。
 隊士たちは迅速に動き、逃げた者を追い掛け、床に転がっている者に縄をかける。
 その間、セイは歯の根も合わぬほどにがたがたと震えて、総司にしがみ付いていた。
「セイ、どうして逃げなかったんですか!」
「だ、だって……やっつけないと……総司さまが狙われると思って……」
 総司は手拭いをとりだし、セイの頬や手に無数についた返り血を拭った。
「あなたって人は……。ありがとう、セイ。私はまた、あなたに護られたんですね……」
 あれほど逃げなさいと言っておいたのに、と言いながら総司はセイの小さな体をしっかりと抱き寄せた。
「それに、新選組を抜けたわけではありません。敵前逃亡は士道不覚悟……切腹です……」
(あなたの身に何かあったら、私はどうすればいいんですか……)
 隊士や刺客たちの見ている前だが、セイは総司の胸に顔を埋め泣き出した。
 総司はセイの髪を撫でた。
「でも……でも……もうだめかと思いました」
「よく頑張りました」
「ホントは……怖かった……んですっ……」

 何とも言えない甘ったるい雰囲気になり、隊士は慌てて刺客を引っ立ててその場を退散した。
 そっと背後を振りかえった隊士の一人が、たちまち赤面した。泣き顔のセイが、総司をみあげ、総司がその唇にそっと口付けをした。
(沖田先生、羨ましい……!)

 総司はふと、震えるセイの手から滑り落ちた簪を拾い上げた。
 先が鋭く尖っている。しかも、簪全体が刀の様な作りになっている。
 総司はぎょっとした。
「あなた、こんなものを髪に刺してたんですか!」
 セイはだまって頷き、恥ずかしそうに面を伏せた。
「仕込杖ならぬ仕込み簪ですか?」
 後から覗きこんだ隊士が呟き、総司は唖然として我が妻を見た。

 一方、軒下でがたがた震えていた、善助。
 ようやく戦闘が終わり、震えが収まったので、さぁとんずら、と思ったら、ひょい、と襟首をつままれた。
「ぎゃあ!」
「沖田先生、軒下にまだ曲者が!」
 セイが、あ、と叫んだ。
「総司さま、呼び子を鳴らしてくれたの、たぶんあの人です」

 善助は縁側の隅で小さくなっていた。
 目の前にはあの剣豪として名高い、沖田総司が居る。隊士たちは、数名が念の為残っているが、思い思いに寛いでいる。
 危うく善助も、盗っ人、ということで連れていかれそうになったが、セイが頼み込んで、お縄になる事は免れた。
「あっしは、単なる盗っ人でして……。へぇ、殺したりは致しませんので。で、小金を頂こうと参りやしたら、その、お侍さんが躍りこみやしたんで……で、見ていやしたら、そちらのお内儀さんが、どうも呼び子を鳴らそうとしてるように見えましたんで、それならあっしが、とぴりりとやったんで……」
 ぺこぺこお辞儀をしながら善助はまくし立てた。目の前にはお茶が出されているが、とても手が出せるものではない。
「まったく、うちにはそんな大金はありませんよ?」
「へぇ、かまわねぇんで……。あっしが盗んだばっかりに先方が生活に困るのはいけませんので、あっしがちょいと頂いても難儀しねぇ程度に頂くんで……」
 先日盗みに入った大きな商家には、五十両ほどが手文庫のなかにあり、そこから一両ほど失敬した。次に浪人の家に入った時は、銭貨を少々……殺しもしなければ、荒らしもしない、江戸で散々盗みを働き、目をつけられて、京まで逃げてきた、と善助は喋りまくった。
「善助さん、助かりました……。ありがとうございました」
 青白い顔のセイが、頭を下げ、総司はにこにことその肩を抱いている。
 あたふた、と善助も立て続けにお辞儀をした。

 「善助さん、大きなお世話だと思いますけど泥棒稼業は止したほうがいいですよぅ」
 総司が、真剣な顔で、善助に言う。
「たまたま今日は助かりましたけど、もし同じ事があったら今度は助からないと思いますよ」
 人斬りの横行する、物騒な世の中ですからねェ、と溜め息をつく。
 善助も、庭に伏せている間、そのことをずっと考えていた。こんな命がけの盗みは金輪際勘弁願いたい。
「へぇ、すっぱり足を洗います……」

 数日後。
 河辺の家を訪れた土方は、見なれない男が、玄関掃除しているのをみた。
「おめぇ、誰だ?」
「へぇ、善助と申しますんで」
「何やってんだ?」
「ここの家の、まぁ、奉公人みてぇなもんでして……」
 善助はこの男が、新選組副長だと気がついた。惚れ惚れするような、男前だ。
 土方も、この男がセイを救った恩人だと気がついた。
(鬼の土方がこんな美男たぁ……。新選組ってぇのは、噂なんかよりずっと面白れぇ……)
(総司の奴、神谷が無茶しねぇように、こいつを見張り役にするたぁ考えたな)
 土方を家の中へ案内し、お茶を出して善助はそそくさと言った。
「実は……先刻お二人そろって舟に乗り込みやして……暫くは戻ってこねぇかと」
 土方は、ははぁ、と納得した。
 総司ご自慢の舟、近頃は庭から少し川へ出たりもしているらしい。
 恐らく舟の中で人目も憚らず相当睦まじくしているに違いない。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなるような会話はどうにかならねぇもんですかね……」 
「おめぇも、ここの奉公人たぁ、難儀だな」
「へぇ。ちっとばかり、普通のご家庭とは違う様で……」
 善助が大きな溜め息を漏らし、土方は苦笑した。