魔性の月

 ある満月の夜。
 総司と縁側に座って月を見ていたセイは、どこかで聞いた話しを思い出した。
「魔性の月ってのがあるんですって。その月を見た女は、魔性の女になるそうです」
「へぇ、どんな月なんでしょうね?」
「魔性ってくらいですから……きっと美しい月なんでしょうね」
「じゃあ、今夜の月のことかもしれませんよ? ちょっと珍しい感じですし。あ、神谷さん、魔性の女になっちゃうかも」
 セイはくすくす、と笑った。
「魔性の女……そんなこと、あるはずないですよ」

 その話は、本当だった。
 セイ自身が、この直後、身をもって証明したのだ。

 「沖田先生、寂しいです……お傍へ行っても良いですか?」
 今宵は三番隊が巡察で斎藤一が留守。
 押し入れからセイが滑り降りてきて、総司の布団にするり、と潜り込んできた。
 総司が返事をする間もなく、である。
 ぴったりと体を寄せ、艶めかしい吐息を総司の胸に浴びせる。
「か……神谷さん、いけません」
「はぁい、沖田先生……」
 総司は慌ててセイを押し出そうと体に触れたが、その柔らかさにどきり、として慌てて手を離した。
(ど、どうしましょう!)
 目がすっかり冴え、金縛りにでもあったかのように、総司は動けなくなってしまった。

 一方、セイは、どうしようもなく大胆な気分になっていた。先ほど総司が触れた場所がじんわりと熱を持っている。
(欲しい……)
 そうは思う物の、具体的に何が欲しいのかまでは、わからない。
 だが、無性に寂しくて、総司の傍に居たくて、抑えが利かない。セイは得体の知れない衝動に突き動かされるまま、行動をとった。
(だめだ。隣に寝るくらいじゃ、この寂しさは埋まらない。もっと……)
「沖田先生……」
 むくり、と起きあがったセイの姿が総司の見開いたままの視界に飛びこんできた。セイは、掛け布団を丁寧にどけると、徐に総司のお腹の上に跨った。
 突然の事に、総司がびくっと体を強張らせた。
「神谷さん? 何をするんです。やめなさい」
 擦れた声で、総司が制止するが効き目は一向にない。
(そんな声でやめなさい、って言っても効果ないんですよ、沖田先生)
 セイは微かに微笑み、ゆっくりと総司の胸の辺りに肘をつき、上半身を倒す。
 その瞬間、総司の目線は、セイの胸に釘付けになってしまった。
「か、神谷さん、あなた、ど、どうして晒をしていないんですかっ!」
 夜目にもわかるほど真っ赤になって慌てる総司をみて、セイはくすり、と笑った。
 総司の布団に忍んで行くのに、そんな野暮な物を纏っていく必要はない。
 セイの顔が、ゆっくり近づいてくる。総司の体を、冷たい汗が流れる。
「やめなさい、神谷さんっ! かみっ……」
 そのまま、総司の唇は塞がれた。

 ばたばたともがく総司を、セイは信じられない力で組み敷いていた。
(少しは大人しくして……沖田先生)
 そのまま片手で総司の喉を軽く押すと、苦しさから逃れ様と総司がぐっと首をのけぞらせた。
(殺しちゃえば沖田先生は私のもの……)
 セイは、唇を離すと、総司の喉にいきなり、がぶっ、と噛み付いた。歯を立てると、血管があることがよくわかる。

 「痛いですよぅ……」
 セイは、総司の泣きそうな声にはっと我に返った。
(私、何を……)
 ぬらり、と濡れた総司の唇がぱくぱくと何か動いているが、セイの耳には届かない。
「沖田先生……沖田先生……」
 先ほど自分が噛み付いた跡をぺろり、と舐めてから、総司の唇に飛びついた。

 力が入ってがちがちになっていた総司の体から力が抜けた。
 
 お互いに惚れあった年頃の男女のこと。
 軽く、触れ合い、啄ばむような口付けだったのが、角度を変え、深いものへとかわって行くのに、そう時間はかからない。
「ふっ……」
「はぁっ……」
(神谷さん、あなた誰にこんなことを教わったのです……! もしかして私の知らないところで……)
 総司は内心呆れながらも、燃えあがる嫉妬と本能に突き動かされる。
「……許しませんよ、神谷さん」
 総司は、口付けしたまま器用にセイとの体位を入れかえた。
 今度はセイが、総司の胸元に釘付けになる番だった。寝間着の胸元がはだけて覗いた厚い胸板。汗が光っているのが、艶めかしい。
 セイの体が火照りを増す。それに気がついた総司の体も、熱を増す。
(神谷さん、可愛い……)

 何時の間にか主導権を総司に握られ、次第に激しくなる総司の動きに、ただただ、セイは翻弄されていく。
(沖田先生が、こんな手練手管を身につけてるなんて……)
 セイの中にも、嫉妬の炎が燃え上がった。
「沖田先生こそっ……許しません」

 炎に炎をぶつけるとどうなるか。
 更に激しく、燃えあがるのみである。

 部屋の中に、湿った音と吐息が響き渡る。
 寝間着の上からでも、二人の体がじっとり汗ばんでいるのがわかる。
 一心不乱にお互いの唇を貪る。攻められて、攻めこんで、痺れて尚、絡み合う。
 感覚が研ぎ澄まされては麻痺し、どちらの吐息で、どちらの舌なのか。
(沖田先生、愛しています)
(神谷さん、愛しています)
 
 告げてはならない、想い。
 通じてしまう、想い。

 どのくらい時が経ったのかわからない。どちらからともなく、唇を離した。銀色の糸が、二人の濡れた唇を繋ぐ。
「ああっ……やだっ……」
 総司のぬくもりが離れる事に一抹の寂しさを感じて、セイは思わず声を挙げた。
「意外に欲張りさんですねぇ……」
 総司が擦れた声で囁いた。セイは赤く染まった顔を少し背けながらも、総司の背中に腕を回した。
 総司が一つ溜め息をついた。がしがし、と頭を掻いて、横たわったセイを見つめる。
「晒を巻くなら、かまいませんよね」
 ぽつり、と呟き、セイの返事を待つことなく、ちゅ、と唇を吸い、首筋、鎖骨、胸元、と徐々に下へ降りていく。
 時には、強めに吸ってセイの肌に所有の証しをつけて廻る。
(へぇ、面白いようにつきますね……)
 いい加減乱れていた胸元を一気に押し広げる。
「やっ……」
 セイが本能的に腕で隠そうとしたが、総司はそれを許さない。
 露になった頂を軽く舌先でつつくと、セイの体がびくん、と跳ねた。

 「沖田先生、もう少し……」
「駄目ですよ」
 あっさりとセイを解放し、自分の寝間着を整えながら総司が言う。
「どうして……ですか?」
「決まっているでしょう、私があなたを滅茶苦茶にしてしまうからですよ」
 セイが何か言おうと口を開き掛けたのを総司が指でそっと唇を塞ぐ。
「あなた、何度も意識を手放しそうになったでしょう。これ以上だと、体が持ちませんよ。もう寝ましょう」
 ここで止めるのは私だってつらいんですよ、と照れくさそうに笑う。
 総司はセイの寝間着をきちんと着せて、小脇に抱きかかえるようにして布団に入った。
「おやすみなさい、神谷さん」
「……おやすみなさい」

 挨拶をしてすぐ、セイは眠りに落ちたようだ。総司の胸に縋っていた腕から力が抜けた。
(まったく、神谷さんには参ります……)
 暗闇の中、総司がぱち、と目を開いた。規則正しいセイの寝息が聞こえてくるのが、心地よい。
 まだまだ子供だと思っていた。セイが大人になるまでは、手は出すまいと決めていたのに、セイから仕掛けてくるとは。
(あの巧みな技は生まれ持った才能なんでしょうかね……それとも、さっき見た月のせいで、魔性の女になっちゃったんでしょうか……)
 セイには魔性と言う言葉は似合わないが……。
(考えても、仕方ありませんね。でも、また次襲われたら、今日みたいに途中で止める自信はないんですよねぇ……どうしましょう)
 今日も危なかったんですよ、と総司は一人呟き、火照る体を持て余しながら、目を閉じた。