向日葵の季節

 平日の昼間、都心を走る中央線は朝夕のラッシュが嘘のように空いている。
 そんな中、七人掛けのシートに、一組の男女が座っている。
 眉間に皺が寄っているものの涼しげな目元の美男と、大きな瞳が印象的な、人形のように愛らしい少女の組み合わせだ。
「くしゅんっ」
 ふいに、少女がクシャミをした。
「そらみろ」
 にやり、と男がわらい、少女はぷくっと膨れ面になった。
 少女の服装は、水色のキャミソールにデニムのタイトなミニスカート、足下は少 しヒールのあるミュールだ。
「だってぇ……」
 待ちに待った夏休み、愛する男と出かけるのだ。多少無理をしてでも、とびきりのお洒落がしたいのが乙 女心ではないか。
「肌を剥き出しにして何がいいんだかわからねぇな。風邪をひくのが落ちだろう ぜ」
「んもうっ、歳三さんのいじわるっ」
 ほう、と、男ー土方歳三ーの眉が跳ね上がった。
「いじわるってのはな、こうするもんだぜ」
 いたずらな手が、するん、とスカートの裾から中へ進入してきた。
「きゃっ」
「んー? セイ、どうした?」
 少女ー富永セイーは色白の顔を朱に染め、口をぱくぱくさせた。
「ん?酸欠か?」
 違う、と答えようとセイが口を開いた途端、素早く何かが差し込まれた。
「あっ?」
 その、自分の舌を求めて動く物体が歳三の舌であると認識するまでに、少し時間 がかかった。

 内心、歳三は驚いていた。てっきり拒否され、パンチの一発でもくらうかと思っていた。
 しかしセイは拙いながらも必死で応える。
 普段はどんなに軽いキスでも、人前でするのを拒むのに、だ。
 車両には寝ている若者が離れた場所に一人二人、あとは仲睦まじい老夫婦とせっせとノートパソコンを叩いているサラリーマンが、やはり離れた場所にいるのみだ。
 停車駅でも誰も乗ってこなかったのをいいことに、 歳三はセイを味わい続けた。

 車掌が、まもなく次の駅に到着、特急の通過まちをするとアナウンスしたのを機に、歳三はようやくセイを解放した。
(おお!)
 とろん、とした表情のセイは滅多にお目にかかれない上、とても色っぽい。
 どちらのものかわからない、銀の糸がセイの口元から胸元にまで滴っている。
「いやらしいな」
 わざとつぶやき、つつっ、と歳三の細くて長い指がそれをゆっくりなぞった。
 セイがぴくん、と震えた。
「セイ?」
「歳三さん……」
「そんなにさっきのキスがよかったか?」
 からかうためにわざと耳元で囁いてみた。が、再び歳三は驚いた。こくん、とセイが肯くではないか。
(これはこれは……)
 もっとも、ぼうっとしていて自分が何を応えたのかわかっていないに違いないが。

 そのままセイは猫が甘えるかのように、歳三の腕を両手で抱え、顔をすり寄せてくる。
(随分と体が冷えてやがる)
 歳三はセイの体を出来るだけ自分のほうへ寄せた。
 本人も寒いのだろう、体を縮めておとなしくしている。
「セイ、これを着ろ」
 歳三は自分が羽織っていた、某ブランドの長袖の白いシャツを着せた。
「え、普通のワイシャツ?」
 未だに衝撃から立ち直れていないセイにはごく普通のワイシャツに見えたようだ。
 お洒落な歳三が内心がっくりする間もなく、セイが声をあげた。
「ふふっ、歳三さんのにおいだぁ。あったかぁい」
 誰よりも愛しいセイの満面の笑み。
 おもわず歳三の動作が止まった。

 次第に、車内に人が増えてきた。
 若い男たちが、こちらを見ては、にやにやと笑うのに歳三は気がついた。
(なんだ?)
 彼らがセイを見ているのは間違いない。
(どこだ?)
 足か?それとも胸元か?
 ちなみに、歳三はセイの足や肌をほかの男が見ても特に何も思わない。
 セイが見せたい相手は俺一人だけ、と、わかっているからこそ他の男に見せびらかしたくなる、というのがこの不敵な男の思考回路らしい。
 だが、どうも、どこか違うようだ。
「これか?」
 暫く考えていた歳三の唇の間からつぶやきがもれた。
「セイ、ちょっといいか?」
「はい?」
 立ち上がらせると、若い男たちが一斉にセイをみる。 「……これだろうな」
(左之助や新八が言ってたあれだな……)
 美少女が大きい服を着ていると萌える、とかいうことがあるらしい。
(なんだかわからねぇが、気に入らん!)
 歳三は、袖をせっせと折り曲げ、ボタンを全部掛けたあと、あろうことか裾をきっちりと結んでしまった。
「これでよし!」
 何が良いのかセイにはわからないが、彼が良いというのだから良いのだろう。
 座席にセイが座るのを見届けた歳三が、挑戦的な視線を男性客に送り、無言のバトルがはじまったことに、セイはまるで気がついていない。

 歳三とセイが目的とする日野駅まで、まだ少しある。