春、その青年は桜の木を毎日見に来ていた。
 夏、その青年は京都・大阪へ行った。
 秋、その青年は函館へ行った。
 冬、その青年はまた桜の木を見ていた。

めぐりあい 3

 その頃、神谷清三郎こと富永セイは、黒谷新選学園中等部に在籍していた。
緑色のブレザーに、チェックのスカートを身にまとった姿で幾度となく斎藤や藤堂、土方ともすれ違っているのだが、お互いに気がつかない。
総司とすれ違いでもすれば、総司ならわかったに違いないが、生憎一度もあっていない。
 皆、気がつかないのも無理はない。
未だに『男・神谷清三郎』を手がかりに探しているのだから。

 「セイ! あんた当たってるんだよ」
机に肘を突いてぼーっとしているセイをクラスメイトが突ついた。
「富永さんはこの俳句をどう思うのかな?」
正気に戻ったセイの目の前に、どうもいけ好かない古文教師が立っていた
「わ、伊東先生っ!」
「この豊玉という人の俳句なんだけれどね、富永くん?」
「あぁ、身も蓋もない句を読む人でしたっけ」
ぷっ、と伊東先生が吹き出す。
「それはいくらなんでも……豊玉さんが聞いたら激怒するよ」
「えぇ、怒ったら怖いですもんね。春の月が大好きなんて意外……」
自分でそう答えておいて、セイは首を捻った。
「あれ、私なんでそんなこと知ってるんだろう?」
配られたプリントに目を落とすが、春の月の句は一つしかない。
変だな、と首を傾げるセイの姿を一人の男子生徒が驚愕の目で見ていることに、誰も気がつかなかった。
(やっぱりお前、神谷だろう?)

 セイは近頃、誰かに呼ばれているような気がして仕方がない。
切なく、許しを請うような、そんな声が聞こえてくるのだ。
(そうだよ、神谷清三郎って私のことだよ……。誰だろう、私を呼ぶのは)
いつの頃からか、手首に紐の跡のような痣が浮かび上がっている。
セイはちょんちょんと、その痣を触った。
(たしか……ここにこう、紐をかけて……)
無意識に、刀を構える仕草をした。

 「っと、悪ぃ、富永」
「あ、中村!こっちこそ……」
ぼ〜っとした人間が二人、廊下でぶつかった。
片方は、己の不可解な記憶に首を傾げる、富永セイ。
片方は、富永セイがかつての同志・神谷清三郎だと確信した、中村五郎。
「中村、携帯落としたぞ」
ふと、セイが見たストラップは、『誠の旗』だ。
くるり、とひっくり返すと、『十番隊・中村五郎』と書いてある。
「これ、どうしたんだ?」
「ん? あぁ、去年だったかな、近藤先生に貰ったんだよ。かつて……」
かつての同志が再会した記念に、といおうとして五郎はぴたりと口をつぐんだ。
セイが何かを一生懸命思い出そうとしている。
「新選組局長近藤先生……十番隊は原田先生……鬼副長……壬生の屯所……」
(おいおい、どうして沖田先生が出てこないんだ?)

 五郎はその日一日、考えに考えた。
午後の美術の授業が自習になり、五郎は隣の席のセイに声をかけた。
「富永、どうかしたか?」
「なんか、誰かに呼ばれてる気がするんだけど……って中村に言っても仕方ないか」
「なんだよ、それ」
富永はたしか、両親をなくし、親戚の家をたらい回しにされてここへ流れついたと聞いた。
今お世話になっている家でも、あまり上手くいっていないらしい。
中村五郎必死には考えた。
(神谷は沖田先生たちと一緒に暮らした方が幸せなんじゃないか?)
そっとセイの姿を盗みみると、昼間より一層ぼ〜っとしている。
「そういえば、中村は剣道やってるんだって? 近藤屋敷に出入りしてるって聞いた」
「近藤屋敷? あぁ、近藤先生の屋敷か。うん、あそこが天然理心流の本部だから」
「本部? 偉い人が沢山居るんだ?」
「偉いっつーか、強いっつーか。門人や武者修業に来た人たちがそのままあそこに居座ってるから、何時の間にか本部って呼ばれ出した」
「へぇ!」
中村五郎は更に考えた。
(神谷をそっと道場へ連れていこう! 誰かを見て何か思い出すかも知れねぇし!)
ぐっと机の下で拳を握った、中村五郎。
彼は知らなかった。
幹部たちが剣道の全国大会のために一斉に留守にしていることを……。